グルテンフリー

2018年8月24日 日常
いつも思うのだが、○○を食べるだけ、とか○○を抜くだけ、とか安直なエセ食事療法はいつまで人心を掴んでいられるのだろうか。

あるいはこういう言説は確かに表現の自由ではあるけれど、風説の流布が与える社会的な歪みが計量できないがゆえに罰されないだけであって原理的には悪説といえるのではないだろうか。

昨今、取沙汰されていたグルテンフリーというのもその一つらしく、タスマニア大学がサイクリスト(自転車競技者)の集団を使って二重盲検法で実験した結果グルテンフリーの集団はグルテンを摂取した集団と何ら変わりがなかったという論文を発表した。

※ニュースリリース(url)
https://arstechnica.com/science/2016/01/gluten-free-sports-diets-do-nothing-study-suggests/

私は太りにくい体質なので、あまりそうした食事療法に神経を使うことがないのだが、脂肪がついたからといって、運動すればいいだけではないかと日頃から思ってしまう。

夏の甲子園

2018年8月22日 日常
熱意だの情熱だのが足りないと辛気臭いことを言っていた私としても今年の夏の甲子園はちょこちょこと中継を覗いていた。

白河越えのチャンスは2012年の光星学院(青森)以来の6年ぶりであったらしいが残念ながら金足農は大阪桐蔭に大敗を喫した。
2004年、翌年5年にも駒大苫小牧が優勝旗を手にしているので白河越え自体はなったじゃんと個人的に思わなくもないが、陸路がどうのこうのと訳のわからんことを言う人が世間にはいるらしい。

とはいえ、なんとなく大阪に所縁のない人たちはこぞって金足農(秋田)を応援していたんじゃないかというような異様な空気、プレッシャーの中であれだけのパフォーマンスを発揮した大阪桐蔭の選手らには称賛しかないのも事実である。

甲子園の優勝投手はなかなか大成しないと言われることもあるが、必ずしも正しいとはいえない。
しかし、一面では正しい。昨今の高校野球においても大会を通して一人で投げる大エース型のチームでは勝ち切るのが難しくなってきているのもまた事実である。
複数の投手で継投するチームは大エース型のチームよりも大会終盤における疲労の蓄積を抑えることができる。決勝ともなればその差は如実に現れるため、アドバンテージは計り知れないのだ。ただやはり優勝投手といえどプロに行くと軟投型は簡単に打ち崩される場面が多く、よほどキレのある変化球を持つか、一人で落差を作り出せる豪速球持ちでなければ先発登板を任されるほど活躍することは少ないという面を見ればこうした言説が生まれたのも納得できる次第である。
一方、大エース型のチームの優勝例としては田中将大や松坂大輔など、ほんの僅かなビッグネームのみがなし得る偉業とも言える。
今回、吉田投手がそれをなしえれば、それは球史に名を残すことが約束されるに等しい一握りの英雄になれただけに、それに期待し、金足農を応援した人々の思いの丈も充分に推し量ることができようものである。

8月21日の日記

2018年8月21日
熱量というか熱意というか情熱みたいなものが枯渇気味。
何か新鮮な風を取り入れなくては。
意志の弱い私の
せめてもの懺悔として
何か恥ずかしいポエムを更新しておこうと思う。
お盆を利用して久し振りに両親と鎌倉に行ってきた。
以前紹介したヨットの模型は形見分けの折に親戚の誰かが持っていったようで現在の所在は不明である。残念だが仕方ない。

昨日、一昨日と更新出来なかったのはこの鎌倉急行の所為なのであるが幸い書くことは決めてあるのでそちらも忘れないうち、早いうちに書いておきたいと思う。

それでまあ、鎌倉は父の実家に当たるのだが滞在時間でいえばそんなに長居はしていない。せいぜい6時間くらいだろうか。その間にしたことといえば庭木のヌルデの木の剪定である。どうも懇意にしていた庭園業者が廃業したらしく、そのときは1日でざっくりと5万でやってもらっていたらしいのだが、今の相場では10万以上、木一本で2万というような業者が多いと言っていた。
それで親戚筋の貴重な男手として駆り出されてきたのである。

作業を命じられたのは庭先にあるヌルデの木。大きな枝が電線にも届こうかというところまでなっていたので、それは根元からバッサリ伐った。作業をしていると祖母がしきりに心配して、ヌルデは恐ろしいよ。素手で触るとかぶれるよと言う。樹皮を触っていてかぶれるような痒みは出なかったが、あまりにもしきりにいうので切った枝を細かくして縛る頃には軍手をはめさせられた。
のちになって調べてみるとヌルデはウルシ科で樹液にあのウルシかぶれの症状があるらしいが、樹皮に触れるだけだとかぶれたりかぶれなかったり人それぞれのようだ。

この厄介な木はいつ頃植えたのかと聞くと植えていない。勝手に生えてきたと父が言った。裏山が近いので然もありなん。葉っぱの形が少しユニークというか変わっていて、庭木にする利点といえばあとは育てるのに手がかからないことくらいか。ウルシの防御機序は強そうだ。
都市部のマンションに住んでいるとあまりない経験だが郊外の庭付き戸建に住めばこういうことはままある。仙台の方でも少し外れの家には裏山からだろうか。ここ一、二年の間に何度か松が庭先に生えて刈ったのだが、いま鉢に植わっているヤツは既に全高1mほどに枝葉を伸ばしている。

かぶれといえば、今日まで症状が出ることもなくその点は良いのだが作業中に10箇所以上も虫に刺され、耐え難い痒みに身をよじる日々である。

回転ずしの話。

2018年8月17日 日常
回転ずしというのはなかなか面白い業界で大手チェーンといわれているのは親会社など根っこで他の外食産業と繋がっている。
4大チェーンといえば「かっぱ寿司」「はま寿司」「くら寿司」「スシロー」だろうが、親会社はそれぞれ「コロワイド」「ゼンショーホールディングス」「くらコーポレーション」「神明」となっていて、くら寿司のみが独立独歩で展開しているといえる。(2018/8/20現在)


コロワイドはグループ会社に焼肉チェーン店の牛角を要するレインズコーポレーションを持ち、ゼンショーはかの悪名高きワンオペを行ったすき屋を擁するほか、COCO’sやなか卯なども系列企業となっているのだが、2007年頃にはスシローを買収していた過去がある。神明はかつて、かっぱ寿司を買収したのだが、業界五位の「元気寿司」との統合に失敗しコロワイドに売却し、昨年2017年にはスシローと元気寿司の資本業務提携を行うと発表している。

スシローは特に企業売買においては身売りした回数がかなり多いため神明がいつまで保持するかは興味を持って見ている状況だ。

余談だが、それぞれの系列について私感を述べる。

まずスシローだが、数年前に外資が経営していた頃の近所のスシローで出された品は寿司とも呼べないマズさだったため私は怒って店を出たことがある。以来、スシローにはいっていないので親会社が変わったことで何か現場にもいい影響が出ていればいいのだがとは思う。ネタがファミリー層向けなのかどうかは知らないがやけにサーモンばかり流れているのでお寿司を食いに来た感じがしない。回転ずしという別種のアイデンティティを確立しようとしているのかもしれない。

はま寿司は江戸前の考え方なのかネタの仕込みがしてある分、一貫が小さい感じがしてどうも満足感には欠けるし、損失を減らす企業努力なのか足の早い光物なんかは注文しなければほとんど流れてこないイメージでこれは都市部の店舗などでは違うのであろうが私としては席に着いた時になんとなく箸が進まないのがこの系列である。不幸中の幸いか、寿司自体はマズくはないので現状一番マシといったところか。

かっぱ寿司は昔はそこそこ美味しかったのだが、業界全体が過当競争になるにつれ、ネタの質を大幅に落としたため今では大して美味しくないし、足が向かなくなった系列である。

そして、くら寿司だが、なんと私はまだ行ったことがないので分からない。
たまたま近所にないのか、そもそも店舗数が他のチェーンに比べて少ないのかとにかくお店に足を運んでみないことには批評もできないのだが、ネットに出回る写真にはシャリ野菜だとかインスタ映え寿司だとか変にキャッチーな食欲をそそらない寿司ばかりなのでまだ当分足を運ぶことはないかも知れない。

過当競争の末に品質を落とし客離れを推進する業界というのはまぁ、みるだに人間の愚かさをみるようで楽しい業界ともいえる。

夢をみる夢

2018年8月16日 日常
夢の中で夢を見るという稀有な体験をした。

歳をとったせいか最近は何かにつけて古い友人たちの夢をみるのだが、今回は少し様子が違って登場人物は知らない人ばかりだった。

何故、夢の中で夢を見たということが分かったのかというのも一つ不思議な感覚であるが、これは今自分が住んでいる部屋がそのまま夢に登場し、かつ自分が寝ているというところから始まっているからだ。

つまり、

シーンA → シーンB(自分の普段の部屋/再現度が異常に高い) → 実際の起床

という意識の切り替えが起こって、そこにいるはずのない人達が自分の部屋にいてそれを自然に受け入れているというのはやはり夢の中特有の支離滅裂さである。
シーンAはなんだっただろうか、高校時代のハンドボールに打ち込んでいた時の記憶に近いものがあったが、それもやはり少なからず奇妙な点があって、あとで思い返せばそんな馬鹿な、やっぱり夢かという話で落ち着く。

今になって整理してみれば、夢の中で夢を見たという構成ではなく、夢から覚めた時と限りなく近い状況を夢で見た、ということになる。

これで起きた時に見知らぬ人がまだ部屋にいたというなら夏の夜の怪談話にもなろうが、いや、そのような状況で平然と日記など更新できるはずもないのだから結局夢は夢で良かったのだろう。

しかし、つくづく不思議な気持ちにさせられる夢でもあった。
昭和でも平成でも良いがメディア作品というのは当時から幾度も不況を経験している為、それらを乗り越えて権利団体なり企業なりが今でも存続しているとは限らないという認識があり、また発表当時からかなり時間が経った作品についてどこが権利を持っているのかなどはエンドユーザーはほとんど意識しないためアニメでもドラマでも映画でもネット上にはかなり多くの版権の怪しい作品が跋扈している。あるいは権者が収益化済みというような抜け道もあるようで、表面的にどう振舞うべきかはさっぱりと分からない。

一応、著作権切れというのは著作権者の死後50年か発表から70年経ったものがおおよその目安となるが、我々が目にするのはどちらもまだまだの作品ばかりである。

著作権法違反は親告罪なのでどのみち当事者の意識が大事ということになってくるのでそこまで気を張る必要もないかも知れない。

とはいえ今回話したいのはそんな話ではなく、昭和の作品、ないしは平成の作品でもいいが、とにかく、現代ではない時代観の感じられる作品群を今になって見返してみるとやはり、イデオロギー論的な論調が数多く見受けられ、それが当時の潮流であり、彼らの人生観であり原動力でもあったというのは何とはなしに伝わってくる気がする。

そういった作品には妥当すべき巨悪というものがあり、それに虐げられる人民がいて、社会のひずみとなって顕在化してくるという一連のテンプレートが存在しているわけだ。

今では盛んにTV放映されている松本清張シリーズというサスペンスドラマがあるが、あの作家もどこかイデオロギー論というか陰謀論めいた構図を多用する為、世の権力者の傲慢、欺瞞によって生み出された犠牲者が社会の歪みとして主人公の目というフィルターを通して描かれているわけだが、TV関係者にとって今の時代にそれはウケないという考えなのか、社会の歪みを表すマクガフィンたる犠牲者が本来筋書き上で死んでいるはずの人物が死んでいなかったり、抑圧されている理由とか形式みたいなものが現代版にアレンジされていたりするのが結構ある。

これは尺の都合というよりもむしろ、現代人の感覚を優先したモデル化をしているのだが、そうなると作家が本来描いていたはずの全体像が大きく変わり、話がどうにも小ぢんまりとした形でまとめられているようで、早い話がスケール観に欠けているように思われた。

最近、このスケール観の違いこそが世代別人口の差、活気の差なのだと気付いた時、なんだかうら寂しいような取り残されたような思いに心沈んでしまったのである。

人の命は

2018年8月14日 日常
あまり身近な人がなくなるという経験をしてきていないせいか、あるいは子育てというものを経験していないせいかは知らないが、自分はどうも人の命に関してドライな部分がある。

人の数が星より重いという言葉も過度に誇張された政治的スローガンにに過ぎないというのが私の理解でその言葉の持つ説得力のある人道性というものに同調できないところがある。

よくある哲学問題のトロッコ問題においても同様である。

知らぬ人に説明すると、トロッコ問題とはY字の暴走トロッコの線路の分岐状に1人と3人がいて放っておけば3人が死にそうだが、分岐をいじれば自然状態では死ぬことにならないはずの一人が死ぬという状況下であなたが分岐をいじるか、という設問である。

類問には自動走行中の自動車の進行方向に・・・というものもある。

いずれにせよ、被害が最小限になる瑕疵のある選択肢が与えられた場合、積極的にその選択を取れるかというものだ。

私は人の命はものの数だと思う人間なので、数の少ない方が多い方に比べてよほど気に入った人でない限りは分岐操作をすると思われる。


仮にここで分岐をいじったとしても、故意性は存在するが法的には緊急避難に類するもので殺人罪など大方の違法性は阻却されると思われる。モチロン現場責任者と企業とが故人への賠償を課せられるとは思うがこれは操作とはあまり関係がない。

従って、あとは本人の自責の念をどうするかという問題になってくるが、三人を見殺しにしたとて同様の自責の念から全き解放されるというものでもないため積極的に分岐操作を否定する要素がないのではないだろうかと思ってしまうのである。


スパティフィラムの株分け
ちょっと前にスパティフィラムの株分けを手伝った時の話だ。

プラスチックの黒い鉢から所狭しと緑の茎が覗いていたので株分けをすることとなった。本来はこうなる前のもっと早い段階で株分けを行わなければならないそうだが、ズボラな我が家系では鉢の中に既に土がなくなってしまうくらいに根っこがびっしりと埋め尽くしており、いざ鉢から引き抜こうと渾身の力を振り絞ってもびくともしなかったので、結局はプラスチックの鉢本体を破壊する運びとなった。

そして、引き抜かれた写真が横にある画像である。
どことなくエキゾチックな雰囲気すらある生々しい根っこに、ほうと嘆息したものだが、ネットを探せば似たようなことに泣ている人は見つかるものである。

ここからばちばちと根を切り株分けは成功したのだが、この土を食べきってまたあのように増殖していくのかと思うと生命の神秘というのを身近に感じた今日この頃である。

学級通信の話。

2018年8月12日 日常
私が子供の頃、それも小学低学年の頃の話だ。

当時、確か小学二年生だったと思うが学級通信というものがあった。
担任の先生が一生懸命、その週ごとの体験について児童たちの感想文を拾い集めたものをまとめて保護者に向けて発行していたのだ。
そうはいってもA4なりの藁半紙で印刷されたもので特別感のあるものではない。
ただ、感想文は毎回、40人からなる生徒たちのうちから3~4人をピックアップして原稿用紙一枚分だかの容量をびっちりと書いて載せていたはずだ。
だから、登校日の週が何週あるか分からないが30週ほどはあるとして、だいたい一人3回くらいは載せて貰う機会があったはずだが、私には全くと言っていいほど縁がなかった。

当時の学年文集は手元にないので確かめるようなことは出来ないが、あまり支離滅裂な文章を書き連ねていたわけではないと思う。
落ち着きがなく素行不良というのも確かにあったかも知れないが、手を煩わせたという一事をもって私怨で外されていたというのも考えにくい。
となると、感想文そのものを提出していなかったという可能性もあるにはあるが、さすがに毎週書かされているものを都度都度無視しきったというのも考えにくい。

今もって理由は不明である。

だが、とにかく私の感想文というのはその学級通信においてはただの一度きり。
二年生の最後の最後の週に完全なるお情けで載ったというのが記憶に残っている。

というのも、担任の先生が「初めてすたたくんの文が学級通信にのりました。拍手」のようなことを恩着せがましく言っていたのが記憶の片鱗に残っているのだ。

まず間違いなく自分にとって都合の悪い記憶というが消えているのだとは思うが、こういう風に歳を取っていくのはよくないなぁと的を得ない反省をしている今日この頃でもある。

クモの話

2018年8月11日 日常
一歩家を出れば蜘蛛御殿。
あちらこちらに蜘蛛が巣を張り散らかしていて、虫の死骸や葉っぱなど実に多様なものがひっかかっているのを見かける。

そうはいってもクモという虫は随分と人権を得るようになったなぁなんて思う。
イヤ、なにか特別扱いをされているとは私も思わないが巷には蜘蛛好きを自称する人が随分と増えたように思う。
攻殻機動隊のタチコマじゃないがクモらしい動きなどはどこか愛らしさのようなものをたしかに感じなくもない。
私もクモは割と好きな方だ。どういうクモが好きかといえば最近、ネット上でわんさかプッシュされているハエトリグモではなく、ルブロンオオツチグモのようながっしりとした肉感の強いクモが好きだ。
ただああいうガッシリした感じのクモは熱帯に近いところで生きているものが多く私の住まう東北地方では温度管理や湿度管理などきちんと育成環境を整えないと飼育は難しいようだ。

クモの話といえばやはりクモの糸だろうか。

ハエトリグモは獲物に飛び掛かるとき自らに命綱を一本付けておく。(繊維状のものなので実際に一本と呼ぶべきかは諸説あるが)

さながらバンジージャンプのように身を空中に放り出す前に大瓶状腺糸というクモが出す糸の種類でもとりわけ頑丈なものをつけて飛び立つらしい。

しかし、その綱はバンジーのゴム紐の様に伸びきったら元の所へ伸縮してくるわけではない。糸の構造が一部潰れて崩壊エネルギーが熱として放出され、見事ブレーキのような働きを見せるという。
狩りを経るごとに腺からどのくらいの長さの糸を出せばブレーキがどのくらいかかって獲物をキレイにキャッチできるということを学んでいくのだと空想するとなんだか心くすぐるものがある。

しかし、実際に日本で目にする機会が多いのは毒々しい色をしたジョロウグモやコガネグモばかりなのでしゃにむに大きくなっていく彼らをみて餌になってしまった多くの犠牲に思いを馳せて何とはなしに無常観を感じてしまうのである。

恋歌ふたたび

2018年8月10日 日常
今一生懸命読んでいる本の名前である。
同名の歌もあるらしい。
著者は阿久悠。歌の作詞も阿久悠である。
実際、作詞家としての方が有名で、永六輔や中村八大らとともに昭和歌謡界の影の立役者というべき人物でもある。

この小説の初版が95年に発行であるのでおよそ30年以上前の本なのだが、シニカルなユーモアに富んだ表現が文章の端々にちりばめてあって自分にはひどく面白い。
特に気をてらった文は一行もない。クセのあるリズムを取っているとか独特の言い回しを多用するとかそういうわけでもない。フラットな文章の中に時代を生きた某氏の経験と熱が作品の中に生きているという点に引き込まれてしまったのだと思う。

まだ読み終わっていはいないのだが、なにか好みの文章に出会えたというのが昨今味わっていない無性の喜びを思い出させてくれた。

氏のような文章が書けるようになりたいと切におもう。
余り考えなしに似たようなものとして見ていた二つのものがある。
考えてみれば当たり前のことだが耐火構造物と断熱構造物は違うものだ。
耐火構造物とは熱に強い=高熱にさらされても構造組成が深部まで変化しないことがもとめられる。
断熱構造物は熱を通さない=それ自体は空気層を多く含むということもあるので可燃性であってもかまわない。たとえばダウンに使われる羽毛などがそれだ。

というような違いがあるのである。

石綿のような難燃性で断熱材としても働く物質もあるが人体への影響が大きいらしく今では使用してはいけないようになった。なかなかうまくはいかないものである。

最近、調べた知識の中でお気に入りなのは流動床式焼却炉ないしは流動床式ガス化溶融炉というものである。

熱した砂を空気で巻き上げてゴミにぶつけ、破砕しつつ焼却もするという見た目にもカッコいい技術で導入実績も意外と多かった。

さらには電気式溶融炉にはいかした名前を持つ者が多く、アーク式溶融炉とか電気抵抗式溶融炉とかプラズマ溶融炉とか文字を目にしただけでも何となく心くすぐられる。


哲学というのはそれを知らないと面白いと感じそれを知ってしまうと途端につまらなく感じる、それゆえに不可知を探求し続けるのかもしれない。

あいさつ代わりに詩作的な文章を書いてみたが特に意味はない。

さて、20世紀の哲学は帰納的な学派が主流で演繹的な学派は少数派だという。
私はどちらのものの見方を信じるか、という話を大学の講義だったと思うが振られたことがある。
この時のニュアンスを少し詳しく説明すると、実在というものを信じるか否かというような話だったと思う。ようは確固たる存在というものが世界にはあって、それに対する色々な反応を通してそれを認識しているというのが演繹的発想である。一方で、ここで言っていた帰納的というのは現象なり経験なりを通してそこにあるものを認識している為、実在というものを仮定する必要がないというものだったと思う。これはブレインポッド仮説とか世界五秒前仮説みたいなものに通ずる。
その時は十数人が同じ講義を取っていて、後者を選んだのは私を含めてわずか二人。残りの十人あまりは皆、帰納的なモノの見方を採用するとして挙手していた。

科学的手法の浸透、哲学者としてのカントの影響も大きい為、そうした人が多いのは理解はできる。

怪力乱神を語らず、オッカムのカミソリ、言い方はなんでもいい。検証不可能なものは仮定しないという姿勢はある意味で正しいと私も思うがそれを世界の認識と同一とするのはやりすぎだと個人的にはおもうのである。

世界とは個人主観でも、個人そのものでもない。
あくまで現象を通して個が世界を認識しているというプロセスを叙述しているのみであり、それが世界そのものを叙述しているとするのは誤謬であると思うである。

ただ、いささか同情的でもある。20世紀からこっち量子力学の発展によって、非局所性、非決定論的な叙述が正しいとされて習ってきているし、私自身大学時代にはそうした簡便な実験には何度も参加させられていて誤りであるとは考えてもいない。ただ、電子などの振る舞いが量子力学で叙述される以外の情報を全く持っていないかという一点においては、まだ楽観的希望を持っているのである。
修繕という名の破壊。
修繕という名の破壊。
世の中にはいろいろと都合がある。それは分かる。
大抵のプロジェクトは予算か日程か人員か、ヒドイ現場ではそれらすべてということもあるようだが、とにかく何かしらの問題で実現できない、できなかった内容というものがある。
これが世の中一般における業務であればそうした問題から生じる不利益を飲み込みながら仕事をして誰かにしわ寄せが行ったり行かなかったりしながらプロジェクトクローズとなる。
だが、不利益がプロジェクト参加者以外に生じた時にはどのような対策を取るべきだろうか。
あるいはプロジェクト全体で見た時に大方のところは利益が上回ってはいるけれど、ある部門だけ不利益が生じたという場合はどうすればよいのだろうか。

ある部門とは芸術作品のことである。

修理・修繕というのは本来、あるものを元の状態に戻すことを意味している。
もちろん現実的には可能な限り復帰させるというのが正しく、可能でない場合はその限りではない。
例えば、建築物を修繕するのに1000年の古木で同じ種類、指定の長さ、太さで材木を調達するというのはきわめて難しい。日本は戦後復興期に所得倍増論といった計画の末、無軌道に山林を切り開き大木たる古木を材木として輸出したため国内に古木のストックがそれほど多くない為である。今ある材も、何に使うかという計画のもと守られている木が多い。文化財級の建築物といっても国内には無数にある為、密林で注文すればすぐ届くようなことはないのだ。
特殊な芸術作品については材料に代替しがたい個性が存している場合にはなるべく条件をそろえてあげたいというのが人情だが、予算がつかないから無理、なんてことはありうる。

では、絵の場合は?

元の画が剥落してしまって空いた部分に何が描かれいたかは分からないので、できるだけ似たような資料を当たって妥当と思われる形で創作しました。
これは、難しいところだが、少なくとも本歌を当たろうという努力、姿勢といったものが感じられるので責めるには値しないと私は思う。
ただしヒメネスのキリスト画として有名なスペインの教会については本歌を当たろうという努力や姿勢が感じられないので経済効果があろうとも、元の著作者人格権を否定している点で経済効果だけを見て有難がるのは私としては異常だと思う。

長くなったが本題に移ろう。

例に挙げた画像はどうだろうか。

引用元は2017年4月23日TBSより放映された『世界遺産』より陽明門の特集であったと記憶している。

画像のサイズがまちまちなのは申し訳ないが、比較画像としてまとめたので見てほしい。
剥落が見える古びているのが修繕前、彩度の高い画像が修理後の画像である。

人形の表情がまるで違っているのが分かる。


線の太さモチーフの形、二枚目に至っては目頭から目じりまで幼稚園児の塗り絵のような目が描かれており、眉の形まで変わっている。これは私には完全に本歌を見ていないバイトが絵の具を塗っただけの工程のように見えるわけだ。
東照宮の修繕事業は国庫補助事業であり税金からも補助金が出ている。
さらに言えば、陽明門は狩野探幽が彫刻を手掛けた国宝である。もう一度言うがこれは国宝なのだ。
近寄って見えなければ杜撰でもいいというような気持ちで作られたものでは断じてない。
血税が注がれたさきにこのような杜撰な、修繕という名の芸術的価値の破壊が起きてしまうのはなぜなのだろうか。責任者は何を見てGOを出したのか疑問に思うばかりである。
未だかつてそのような派閥があったか知らないが私はモノラル過激派というわけではい。ただ時折そのような気持ちになることがある。厳密に言えばステレオという形式がなくなって欲しいということではなくミキシングがヘタクソな音源をモノラルで聞きたいという意味である。

音楽ファイルのことはあまり詳しくないのだが、大雑把な理解としてステレオ形式のファイルは音源が別々に録音されていて個別のトラックを作って一つのファイルにまとめているようだ。
そしてこの音源データは電気信号として処理されて、左側用・右側用としてヘッドフォンなりスピーカーなりに受け渡されている。
モノラルは録音データからして一つであるという。だから再生機器にも同じデータを左右に受け渡している。
厳密にはまたいろいろとややこしい分類ができるようだが素人の私が分かり易く話をまとめようとするとこの辺りが限界。

さて、で、ステレオ・モノラルの分類は元データの分類と視聴環境の分類とが存在していて、何を指してステレオ・モノラルとするかはまたややこしい話となる。

元データがモノラルで視聴環境がステレオという事も普通にありうる。
逆に元データがステレオで再生機器がモノラルというケースもある。
現在の技術レベルでこれらの関係が問題を起こすようなことはほとんどないのだが、音源データの形式によっては左右の音源をモノラル的に扱うにはソフト・ハード両面にとっていささか無視できない問題が起こるらしい。

だからステレオ音源は極力ステレオで再生されることが期待されているし、最大公約数的にモノラル音もステレオで聞けというのがオーディオ界の潮流でもある。

ただ、これは音楽トラックを製作する人がきちんとした聞けるレベルの音源を作るという期待も当然成り立っているはずである。ところが往々にしてこの期待は裏切られる。

音源を合成していくことをミキシングという。このミキシングという作業で音のバランス・音色・定位(どこから聞こえてくるように感じるか)を決めていくのだがこれを行った環境が一般的なものとかけ離れていたり、オペレーターが未熟であったりすると聞く人にとっては本当に聞くに堪えない音源が出来上がる。

ネットの海を漂っているとBASS音のバランスがおかしいとかで左右の音圧が違うモノラルで聞きたいような、正直に言えば聞くに堪えない音源と出会うことがある。

こういうときにステレオをつぶしてモノラルで聞けるようにデバイスドライバなりハードなりがすぐ切り替えられるようになっていればと思うことがあるのだが、どうも世界はそのようにできていないらしく、ついで今私が使っているヘッドホンの接続もUSB端子なのでオーディオ端子でモノラル化する細工もできない。

同様の悩みを抱える人などいないのだろうか、不思議に思うばかりの日々である。

般若心経の話。

2018年8月5日 日常
般若心経は、私にとって昔は憶えていたが今はまるきりうろ覚えという多くの知識の中の一つである。

私の祖父母のうち3人までもが他界したが、まだ一人は物忘れを増やしながらもそれなりに元気でいてくれるようだ。有難い話である。私が宮城県に引っ越してきたのは7歳になる頃のことであるが、その時までは東京にいた。両親も東京、神奈川で育っているし、係累はみな関東圏に住んでいるようだが、私たち家族はそこから350kmも離れた場所に引っ越すこととなったわけで、有り体に言えば縁も所縁もない地に越してきた母は相当なストレスであったと今でも事あるごとに愚痴をこぼしてる。
そんな離隔の地に移り住んできたので、そうそう気軽に実家へ帰るという機会もなく、今でも法事でもなければお線香も挙げないような不信心者となっている。
だが、父は次男だし、わたしはそのさらに次男ということもあって家督を次げ、なんていう話はまず出ないので墓守になることもなければ仏壇を預かることもなさそうである。
さてそうなれば、父たちはまた別のお墓を立てるのかもしれないが、その管理も兄に押し付けてしまえば気楽なもので、やはり供養法要を受け持つことはないだろうという打算で、せっかく覚えたもののすっかりお経を忘れてしまったというわけである。

ただ、何かと最近、民俗学的な見地から宗教の成り立ちや有用性について考察する機会があったため、そういえば、などと気が向いたので覚えなおそうとシックハックしている状態だ。

母からすると般若心経よりも光明真言の方が馴染み深いというのだが、あちらは23字とさらに短いお経であるらしい。父(私にとっては祖父)を早くに亡くした母は仏壇に手を合わせる習慣を持っていたようだが、なるほど日常的に唱えるならばどんどんと短く簡略化されたものの方が好まれるようになるのかもしれないと近頃ひどく納得した。

私自身は自分がどのような形で弔われようとあるいは弔われなかろうとまったく気にしない質なのだが、しかし、周りの人間が全く気にしないというわけでもなさそうなのでいざ、その時になってうろたえたりしないよう今からでも勉強しなくてはと中年に片足を突っ込んで思う今日この頃であった。

百日紅の話。

2018年8月4日 日常
両親の暮らす仙台の家には百日紅が植わっている。その他にも果樹や花をつける樹木はいくつか植わっているが、ここでは今の時期に花を咲かす百日紅について語ろうと思う。

百日紅はサルスベリと読むが、これは樹皮のつるつるとした感触から連想されてサルスベリと呼ばれるようになったらしい。しかし、実際にサルは何の苦も無くするすると登っていくそうである。まぁ、普通に人が登れるので、いわんやサルをやといったところか。
一方で、読んで字のごとく百日も花が続くのかという疑問もあるが、これは気候条件など運が向けば三カ月くらいは本当に咲き続けるらしくこちらの字は真実味のある特徴のようだ。
ざっとネットで調べたところ同じ花が3か月間も持ちこたえるわけではなく、咲いて散っての間にまた新しい芽が開いて散ってを繰り返すことから枝には常に花がついているように見え、これを指して百日紅と呼んだという記述を見つけた。
こうした博物的な観察眼を発揮する先人達には頭が下がる思いである。
私にしてみればウチに咲くものが他所とどれほどちがうのかもよく知らないが、ショッキングピンクに近い色をしているので天然色にはよくもこうした発色をするものだと感心するだけである。

これは前に庭の手入れを任せた植木屋の言葉だったか定かでないが「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」よろしく、百日紅もまた切らなければ花を咲かせるコンディションを保てないらしい。

百日紅はそれなりに背の高い木ではあるので、今から剪定に駆り出された場合に備えて、切る枝の見分け方を勉強しておかなければならないのではないかとなんとはなしに思われる日々である。
土用の丑の日というのはウナギを食べようというキャッチフレーズで有名だが、我が家ではウナギを食べる習慣がなかったので三十年近く生きてきてうな重ないしはかば焼きをたべたのは両手の指で足りるくらいしかない。今年は土用丑の日が二回あったらしくどちらももう過ぎている。7/20と8/1だったらしい。夏の土用というのは18日間あり大方は一番暑くなる時期をまたがるようにとられているらしい。余談だが「夏の土用には土いじりをするな」という言葉があるようだが、これは植物を掘り返した後に土に水をあげると根が蒸れてダメになってしまうことに由来する。

今の時代、ニホンウナギという種は絶滅に瀕しているらしいがだからと言って市場の流通量はいまだ少なくはなさそうだ。

個人的にはさかなクンがクニマスを見つけたように水生生物を完全に絶滅させるというのは難しいとは思うが、ウナギがこのまま絶滅したとしても自分は何らの呵責もない。

もちろん、積極的に絶滅して欲しいとは思わないが、だからと言って絶滅を回避する為に自身の余力を割こうという気持ちも湧いてこない。ただ普通に暮らしていてまずウナギを口にしないので積極的にウナギを常食している人たちよりは幾分か責任の度合いが軽いのではないかと思う。

さて責任逃れの言い訳も済んだところでちょっと真面目な話をしてみよう。

まず、これからウナギの需要は変わらないかという話だがこれは絶対数では確実に減る。何せ日本の人口そのものが減るので今後10年15年というスパンでは需要数は減少する、これは自明だ。
今の日本の人口分布で言うと団塊と団塊ジュニア世代が二極して多く大体同じくらいの人数で、その団塊の孫世代というのは団塊ジュニア世代の半分くらいしかいない。

今後二十年の間で日本の平均寿命に団塊の世代がさしかかれば総数の半分が淘汰される(もちろん今の数字から半分に減るわけではないし、他人の死を喜ぶつもりもないし、そのあとに新世代がまた多くなるかもしれない)、そうなればその頃には市場規模自体が縮小しているので大した問題はないように思う。

こうやって20年というタイムリミットを考えたとして、問題はそれ以前にウナギが絶滅してしまう場合である。個人的には問題とは思わないけれど、まぁここでは問題として考えてみようか。

経済学的に言って食品の需要は非弾力的。価格によって増減が少ない。
よってウナギが高価になったとしてもそこまでの需要減は見込めない。もしこの手法で減らそうとすれば所得に対しての比率を極端に高くしなくてはならず、泳ぐダイヤとして密猟が再び増える可能性もあるので難しい。

次に供給を絞る場合。これは場合によっては効果があるが、現状の水産庁の漁獲枠制限の方法が無主物専取。先に取ったもの勝ちというお粗末な原則に基づく総量規制という規制方法なので小規模生産者が泣きを見ることになる。
禁漁というのも同様で体力のない小規模生産者が割を食う可能性が高い。


他に方法はと言えばウナギを増やすというものである。
生息環境の改善は今更望めるかというとそれも難しい。
安心安全を考えれば人は護岸工事された河川流域に住みたいだろうし、既存の大河川に魚道を通すのも必要性との兼ね合いでどうしても後回しにされがちだからだ。
更には水田なども暗渠排水技術が全国的に浸透しており水路と水系の上流とは不連続な回路を形成されていることも多い。ウナギの為に環境をかえようという機運はだから大掛かりになりやすく難しいのである。
完全養殖技術が成立すれば事態は変わるが、こうした技術的なベンチャーは日本では生まれにくい。不経済だからだ。まずとってきた方が安いし国内の拓けた土地はかなり高い。安いところは山奥で造成から設備の維持、輸送や人員の確保の難しさなどから見向きもされない。

どこかで誰かがえいやっと動き出さなければ始まらないが、どうもそれは私ではなさそうだ。

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