人の命は

2018年8月14日 日常
あまり身近な人がなくなるという経験をしてきていないせいか、あるいは子育てというものを経験していないせいかは知らないが、自分はどうも人の命に関してドライな部分がある。

人の数が星より重いという言葉も過度に誇張された政治的スローガンにに過ぎないというのが私の理解でその言葉の持つ説得力のある人道性というものに同調できないところがある。

よくある哲学問題のトロッコ問題においても同様である。

知らぬ人に説明すると、トロッコ問題とはY字の暴走トロッコの線路の分岐状に1人と3人がいて放っておけば3人が死にそうだが、分岐をいじれば自然状態では死ぬことにならないはずの一人が死ぬという状況下であなたが分岐をいじるか、という設問である。

類問には自動走行中の自動車の進行方向に・・・というものもある。

いずれにせよ、被害が最小限になる瑕疵のある選択肢が与えられた場合、積極的にその選択を取れるかというものだ。

私は人の命はものの数だと思う人間なので、数の少ない方が多い方に比べてよほど気に入った人でない限りは分岐操作をすると思われる。


仮にここで分岐をいじったとしても、故意性は存在するが法的には緊急避難に類するもので殺人罪など大方の違法性は阻却されると思われる。モチロン現場責任者と企業とが故人への賠償を課せられるとは思うがこれは操作とはあまり関係がない。

従って、あとは本人の自責の念をどうするかという問題になってくるが、三人を見殺しにしたとて同様の自責の念から全き解放されるというものでもないため積極的に分岐操作を否定する要素がないのではないだろうかと思ってしまうのである。


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