私が子供の頃、それも小学低学年の頃の話だ。
当時、確か小学二年生だったと思うが学級通信というものがあった。
担任の先生が一生懸命、その週ごとの体験について児童たちの感想文を拾い集めたものをまとめて保護者に向けて発行していたのだ。
そうはいってもA4なりの藁半紙で印刷されたもので特別感のあるものではない。
ただ、感想文は毎回、40人からなる生徒たちのうちから3~4人をピックアップして原稿用紙一枚分だかの容量をびっちりと書いて載せていたはずだ。
だから、登校日の週が何週あるか分からないが30週ほどはあるとして、だいたい一人3回くらいは載せて貰う機会があったはずだが、私には全くと言っていいほど縁がなかった。
当時の学年文集は手元にないので確かめるようなことは出来ないが、あまり支離滅裂な文章を書き連ねていたわけではないと思う。
落ち着きがなく素行不良というのも確かにあったかも知れないが、手を煩わせたという一事をもって私怨で外されていたというのも考えにくい。
となると、感想文そのものを提出していなかったという可能性もあるにはあるが、さすがに毎週書かされているものを都度都度無視しきったというのも考えにくい。
今もって理由は不明である。
だが、とにかく私の感想文というのはその学級通信においてはただの一度きり。
二年生の最後の最後の週に完全なるお情けで載ったというのが記憶に残っている。
というのも、担任の先生が「初めてすたたくんの文が学級通信にのりました。拍手」のようなことを恩着せがましく言っていたのが記憶の片鱗に残っているのだ。
まず間違いなく自分にとって都合の悪い記憶というが消えているのだとは思うが、こういう風に歳を取っていくのはよくないなぁと的を得ない反省をしている今日この頃でもある。
当時、確か小学二年生だったと思うが学級通信というものがあった。
担任の先生が一生懸命、その週ごとの体験について児童たちの感想文を拾い集めたものをまとめて保護者に向けて発行していたのだ。
そうはいってもA4なりの藁半紙で印刷されたもので特別感のあるものではない。
ただ、感想文は毎回、40人からなる生徒たちのうちから3~4人をピックアップして原稿用紙一枚分だかの容量をびっちりと書いて載せていたはずだ。
だから、登校日の週が何週あるか分からないが30週ほどはあるとして、だいたい一人3回くらいは載せて貰う機会があったはずだが、私には全くと言っていいほど縁がなかった。
当時の学年文集は手元にないので確かめるようなことは出来ないが、あまり支離滅裂な文章を書き連ねていたわけではないと思う。
落ち着きがなく素行不良というのも確かにあったかも知れないが、手を煩わせたという一事をもって私怨で外されていたというのも考えにくい。
となると、感想文そのものを提出していなかったという可能性もあるにはあるが、さすがに毎週書かされているものを都度都度無視しきったというのも考えにくい。
今もって理由は不明である。
だが、とにかく私の感想文というのはその学級通信においてはただの一度きり。
二年生の最後の最後の週に完全なるお情けで載ったというのが記憶に残っている。
というのも、担任の先生が「初めてすたたくんの文が学級通信にのりました。拍手」のようなことを恩着せがましく言っていたのが記憶の片鱗に残っているのだ。
まず間違いなく自分にとって都合の悪い記憶というが消えているのだとは思うが、こういう風に歳を取っていくのはよくないなぁと的を得ない反省をしている今日この頃でもある。
コメント